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講演会より:死が舞い降りてよかったのか?
丁度11年前の夏に賞を頂いて、本になったのが1995年の1月の20日だったんですよ。
たしか出版されて店頭に並ぶ日が、で、本になるもんでこりゃ気楽だないいわいと思って丁度その頃香港に興味があったもんですから取材兼ねて香港に行ったときにですね、1月の13日から香港に行ったと思うんですけど

 普通に観光して帰ってきて成田空港で見たテレビが燃えているんですよ。テレビがねワンワン燃えていて、「どうしたのかなぁ?」と思っていて、売店の人なんかも心ここにあらずという感じで、その晩は編集者と本が出る前祝だという感じで東京のすし屋でいっぱい飲んでいたんですよ。すし屋のテレビも燃えていて「なんかあったんですかって?」聞いたら「なんか地震があったみたいですよ」って編集者が言ったんですよ。それが阪神大震災だったんですよ。1月18日だったですよね確か。19日に帰ってきたと思うんですけど、まぁほろよい加減で家に帰って、阪神大震災でこんなになっちゃって。

 それで一応20日に本が発売になったんですけれどもうそのころは僕も阪神大震災のすごさにびっくりしてしまって本が出るのは自分にとっては大イベントだったんですけど、本が出るのですごく嬉しかったんですけども、題名とかが、応募したときは「褐色の標的」っていう題名だったんです。応募したときは。「死が舞い降りた」っていう題名に変えたんですよ編集者が。「あぁそれいいね」って、いい題名だとは思ったんですけど、20日に震災があった翌日に発売で、本がでた喜びよりも「申し訳ない変な題名付けちゃったな」って感じで神戸の方々にとって死が充満していたところで。それは仕方がないんですけど。

 そういうことがあったので、新刊が出る3日ぐらい前にひどい事故か何か起きるんじゃないかなって、新刊が出るたびに僕どうしても僕構えるようになってしまって。まだそのくせちょっと抜けないですけど。

「死が舞い降りた」って初めて本になったんですけど震災とか世間がわーってなって僕も「大変だな」って思って、そしたら3月になったら地下鉄のオウムのサリン事件があって霞ヶ関地下鉄は僕も仕事で使ったりしたので3月にそんなことがあってわさわさなって「わーっ」と思って、、

 本が出たにもかかわらず全然嬉しいというかそういうのがなくて、それが1995年の冬だったんですけど。そんなころ神様が「お前本なんか書いちゃいかんぞっていってるのかなって深刻に考えたりしたこともあったんです。
【2005.08.13 Saturday 01:23】 author : ando-blog
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